![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Canon EOS 70D TAMRON 16-300mm F/3.5-6.3 Di II VC PZD F11 1/160秒 ISO1000 10:52 雨 撮影日 2014.11.9 撮影地 三条市・青蓮華院 良かったらここをクリックして下さい。 #
by chonger53
| 2014-12-16 12:41
| 風景
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 突然のアベノミクス解散に伴う衆議院総選挙は14日投開票が行なわれ、自民、公明が圧勝する形となった。 私の選挙区である新潟4区では女の戦いと全国的にも注目された金子恵美さん(自民前)が当選した。 小選挙区では少差で金子さんに惜敗した菊田真紀子さん(民主前)は比例区での復活当選を果たした。 候補者達は選挙期間中、早朝から辻立ち(ツジダチ)したり、企業の朝礼に参加したりして投票を呼びかけた。 個人演説会では大物議員の応援に泣きながら話す姿は、その必死さが伝わってくる。 さあ、これから4年間、三条市のためにしっかりと働いてもらいたい。 ![]() 良かったらここをクリックして下さい。 #
by chonger53
| 2014-12-15 21:27
| その他
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 第20回NPP新潟県写真家協会展が12月9日(火)から16日(火)まで「りゅーとぴあ・ギャラリー4F」で開催されている。 11月2日の公開審査で715点の応募があり、グランプリをはじめ入賞13点、入選148点が決まった。 昨日はその表彰式が会場で行なわれた。 知人の蝶名林カメラマンが銀賞を受賞し、平賀会長から賞状と賞金が贈られた。 ![]() 表彰式で弓納持顧問が新潟県内の風景を是非、全国コンテストに応募して、新潟をPRして欲しいと会場に来たカメラマン達に語りかけた。 また平賀会長と話す機会があり、写真を撮る時はまず先にタイトルを考えてから撮る方が良いと教えられた。 田植えをしている農家の人にカメラを向けた時、農村か農民では撮り方が必然的に違ってくる。 農村は広大な風景をイメージして撮るが、農民ならアップ狙いにするはずだ。 なるほど、写真俳句で言えば先写後句ってことだな。 ![]() 私の入選作品「路地裏通り」 この作品は写真家の林ナツミさんによる『本日の浮遊』シリーズを参考にさせてもらい撮った1枚である。 モデルさんを使い、街の小路で撮影した。 背景の文字が目障りだという人がいるかもしれないが、私はむしろ入れる事で色彩を感じさせたかった。 作品解説をして下さった山口冬人審査員も文字があった方が良いと話しており、嬉しかった。 さて、あらゆる写真コンテストに応募するため、私は作品モデルを募集いたします。 新潟県内に在住で、ご協力いただける方はお気軽にご連絡下さい。 ![]() Canon EOS 70D EF-S17-55mmF2.8IS USM F2.8 1/1600秒 ISO400 14:32 晴れ 撮影日 2014.8.20 撮影地 三条市本町・赤壁屋小路 良かったらここをクリックして下さい。 写真展は下記に日程でも行なわれる。 2015年1月30日(金)~2月8日(日)池田記念美術館/南魚沼市浦佐 2015年4月28日(火)~6月10日(水)水の駅「ビュー福島潟」/新潟市北区 #
by chonger53
| 2014-12-15 12:37
| 写真雑感
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この日が来ると私はいつも忠臣蔵の物語を思い出す。 中山安兵衛武庸は新発田藩溝口家家臣の中山弥次右衛門の長男として誕生した。 しかし、安兵衛が13歳の時、父が櫓失火の責を負って浪人となる。 ほどなくして父が死去。 孤児となった安兵衛は、親戚を頼って江戸へ出る。 そして堀内道場に入門し、剣術の才で頭角をあらわした。 安兵衛は生涯二度にわたるあだ討ちをしている。 最初は、高田馬場の決闘だ。 元禄7年2月11日 、同門の菅野六郎左衛門(伊予国西条藩松平家家臣。安兵衛と親しく、甥叔父の義理を結んでいた)が、高田馬場で果し合いをすることになり、安兵衛は助太刀を買って出て、相手方3人を斬り倒した。 これを知った赤穂浅野家家臣・堀部弥兵衛が安兵衛を娘の婿養子に迎えたいと熱望する。 はじめは中山姓に執着したため、断っていた安兵衛だが、弥兵衛の思い入れは強く、主君の浅野内匠頭に「堀部の家名は無くなるが、それでも中山安兵衛を婿養子に迎えたい」旨を言上した。 これを聞いた安兵衛もついに折れ、中山姓のままという条件で堀部家の婿養子に入ることを決める。 元禄10年(1697年)に弥兵衛が隠居し、安兵衛が家督相続。このとき、中山姓から堀部姓に変えている。 赤穂藩での安兵衛は、200石の禄を受け、御使番、馬廻役となった。 元禄14年3月14日、主君・内匠頭が江戸城松之大廊下で高家・吉良上野介に刃傷に及び、内匠頭は即日切腹、赤穂浅野家は改易と決まった。 安兵衛は江戸急進派と呼ばれる勢力のリーダーとなり、赤穂へ赴き、筆頭家老・大石内蔵助と面会。篭城か仇討を主張したが、弟の浅野大学による浅野家再興を優先することを諭されて、赤穂城明け渡しを見届けた後、江戸に戻る事となった。 その後も安兵衛ら江戸急進派は敵討を主張。 大石は彼らを説得するために江戸へ下り、一周忌となる元禄15年3月14日の決行を約束して京都へと戻っていった。 しかし大石は主君・内匠頭の一周忌が過ぎても決起はしなかった。 再び大石と面会するために安兵衛は、元禄15年6月29日に京都へ上った。事と次第によっては大石を切り捨てるつもりだったともいわれている。 7月18日、弟大学の浅野宗家への永預けが決まり浅野家再興が絶望的となると、大石も覚悟を決めた。 いわゆる京都円山会議にて、明確に仇討ちを決定した。安兵衛はこの決定を同志たちに伝えるべく、江戸に戻った。 そして人生2度目のあだ討ちの日が来た。 元禄15年12月14日、赤穂浪士四十七士は本所松阪の吉良家屋敷に討ち入った。安兵衛は裏門から突入し、大太刀を持って奮戦した。 1時間あまりの戦いの末に赤穂浪士は上野介を討ち取り、本懐を遂げたのである。 討ち入り後、赤穂浪士たちは4つの大名家の屋敷にお預けとなり、安兵衛は大石の嫡男・大石主税らとともに、伊予松山藩主・松平定直の江戸屋敷へ預けられた。 元禄16年2月4日、幕府より赤穂浪士へ切腹が命じられた。享年34。 主君・内匠頭と同じ江戸高輪の泉岳寺に葬られた。 安兵衛が切腹して311年。今年も新発田では義士祭が行なわれた。 ![]() 本丸表門 ![]() 新発田城辰巳櫓 ![]() 三階櫓 この場所は膝下まで雪に埋もれて撮影した。 ![]() Canon EOS 70D TAMRON 16-300mm F/3.5-6.3 Di II VC PZD F11 1/250秒 ISO500 14:54 雪 撮影日 2014.12.6 撮影地 新発田市・新発田城 良かったらここをクリックして下さい。 #
by chonger53
| 2014-12-14 23:42
| 歴史
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Canon EOS 70D TAMRON 16-300mm F/3.5-6.3 Di II VC PZD F11 1/50秒 ISO1000 9:54 曇り 撮影日 2014.11.9 撮影地 三条市・本成寺の三軌苑 良かったらここをクリックして下さい。 #
by chonger53
| 2014-12-13 22:38
| 風景
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