第131回北信越高校野球県大会の支部予選1回戦で新潟県央工は海洋・白嶺の連合チームと対戦し11-0(七回コールド)で大勝した。 県央工は今夏まで指揮を執った井口監督から高村部長が監督に就任し、新体制がスタートする。 1番センター八木(2年) 2番ライト鈴木(2年) 3番セカンド石塚(2年) 画像は先制の2点本塁打を打った瞬間である。 4番ピッチャー石橋(2年) 5番レフト新田見(2年) 6番サード小林(2年) 7番ファースト小田嶋(1年) 8番キャッチャー高野(2年) 9番ショート関塚(1年) 勝利の校歌を歌う県央工ナイン。 ユニフォームが違う選手達が同じチームとなって試合をする。 近年、部員不足などの理由からこんな形で大会に出場する高校が増えている。 糸魚川白嶺は校名が糸魚川商工の時代に甲子園に出場した伝統校である。 1972年夏、1973年夏と2年連続で甲子園出場。私が高3の時、1976年春は本県から18年ぶりとなる選抜に出場した。 1961年に糸魚川高から商業科が分離独立し、糸魚川商工として創立。 当時は部員12人の野球部同好会から発足した。無名のチームを強豪に育てたのが提中宗雄元監督(京都・桃山高-立命館大)である。 実家が京都の僧職ということもあり、西京や京都商などの名門と練習試合をさせた。 元プロ野球選手だった関本四十四投手や黒坂幸夫投手もこの関西遠征で成長したのである。 選抜に出場した時のチームは提中監督が1年生の時から起用していた選手達が中心になっていた。 吉川、伊藤の両投手、主将の山岸やリードオフマンの平野など3年計画でチームは強化された。 秋季北信越新潟県大会決勝では長岡商に4-1で勝ち優勝した。 黒田監督は選手が夏の大会を経験しているかどうかの差が敗因だと言っている。 糸魚川商工は本大会でも不二越工(富山)、高岡商(富山)を破る。 決勝では6-8で福井高に敗れたが強力打線が評価されて選抜出場につながった。 甲子園では鉾田一高(茨城)と対戦し0-1(ノーヒットノーラン)で敗れる。 そのショックからか春の北信越上越地区代表決定戦で高田商に1-2で敗れ、県大会に進出できなかった。 夏の大会も初戦でまた高田商と対戦する。上越市営球場は好カードに6千人を超す観衆が詰めかけ、球場始まって以来の記録となった。 結果は1-4で高田商が勝った。糸魚川商工が早々敗れた事は私も本当に驚いた。 結局、優勝したのは高田商だった。甲子園でも4番松田選手が県勢初ホームランを放つなどで初戦を突破した。 糸魚川商工は1979年夏にも甲子園に出場するチャンスが巡って来たが、決勝で長岡高に3-5で敗れた。 印象に残っているバッターは4番の渡辺選手だ。 悠久山球場で行われた準決勝の加茂暁星戦では、小野塚投手から場外ホームランを放っている。 Canon EOS 70D EF100-400mmF4.5-5.6L IS USM F6.3 1/1600秒 ISO800 13:09 曇りのち晴れ 撮影日 2014.9.11 撮影地 三条市月岡・三条パール金属スタジアム 良かったらここをクリックして下さい。
by chonger53
| 2014-09-13 10:11
| スポーツ
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