今春誕生した新潟医療福祉大学硬式野球部が、今月7日開幕した関甲新学生野球の秋季3部リーグに初参戦し、東京福祉大を6-2で破った。 監督は前新潟明訓高校野球部監督だった佐藤和也氏(57)である。 9日放送のやまだみつるとまついひろえのトークバラエティ番組「アーデ・コーデ」に出演された。 今年2月に発行された「新潟明訓野球の秘密」は佐藤氏が監督生活29年間を綴った本である。 佐藤氏は長岡高出身である。主将で捕手。クリーンナップトリオの一人だった。 初めて佐藤氏を見たのは1974年春季北信越大会の中越地区予選2回戦だった。 私の学校は長岡工に敗れたため、悠久山球場でその後の長岡高対長岡商の試合を観戦した。 結果は7-5で長岡高が勝つ。その時、リリーフした小林信也氏(スポーツライター)がこの本の構成を担当している。 長岡高は決勝戦へ進み、私の小学校時代の先輩である安藤投手の長岡工と対戦する。 試合は延長13回0-1×のサヨナラで長岡高が3度目の優勝を飾った。 富山県で行われた本大会では高岡商に5-2で敗れている。 当時の新聞によれば高岡商の応援団が球場を占領し、長岡高の応援団は父兄10人足らずだったと書かれていた。 この年の夏から新潟県は一県一校となり県大会で優勝すれば甲子園に出場できる事になっていた。 それから金属バットが使用されたのもこの年からである。 6月の長岡市招待野球で長岡高は上尾高に11-1で大勝した。その年の夏、上尾は埼玉県代表で甲子園に初出場する。 長岡高は夏の新潟県予選で優勝候補になる。 しかし3回戦で新発田農の佐藤投手に1安打に封じられ、2-1で敗れた。 春の県大会では長岡高が7-1で勝利していただけに悔しい敗戦となった。 これで佐藤氏は甲子園に出場する事がなくなったのである。 卒業後は野球部の監督でクラス担任でもあった柴山勲氏の母校である日体大へ進学した。 1977年夏、大学3年のとき、長岡高の臨時コーチを務め、56年ぶりの甲子園出場に貢献する。 その時の主将が弟の賢司氏(前国立高野球部監督)だった。 1984年、新潟明訓高の保健体育科教員になり、野球部監督に就任する。 初めて挑んだ夏の大会は1回戦で新潟短大付に2-0で負けた。 前年の夏、県大会で準優勝したチームだったが、主力選手が卒業して0からのスタートだった。 1987年、新潟明訓は春の北信越県大会に出場したため、私は小針球場へ観戦に行った。 当時は胸に漢字で明訓と書かれていたユニフォームだった。 1回戦の対戦相手は名将黒田監督率いる古豪長岡商である。 いざ試合開始の挨拶を行うため選手がベンチ前に集合すると、黒田監督が審判を呼びつけて何やら小言を言っている。 事情は良く分からないが、新潟明訓に何かマナー違反があったのだろうか? なかなか試合が始まらない。5分ほど経って「黒田先生、わかりました」と佐藤監督が叫んだ。 すると黒田監督は納得したのか、ようやく試合開始の挨拶が行われたのである。 いったい何があったのか私は今でも気になっている。 番組でも紹介されたがその時のエースが金田投手(2年)である。 試合は長岡商の松浦投手が明訓打線を4安打に抑え9-0(7回コールド)で圧勝した。 この試合を見る限り、まだまだ力不足だった。 新潟明訓が甲子園を狙える実力をつけてきたのがその翌年の1988年である。 金田投手も3年生となり、春の北信越本大会で準優勝したのだ。 佐藤監督が就任してから5年目の夏の県大会ではついにベスト4へ進出した。 しかし中越高に3-1で敗れた。中越高は決勝に進み、鈴木修投手を中心に5度目の甲子園出場を果たす。 1991年夏、監督就任から8年目で悲願の甲子園出場を果たした。 当時、私は会社を欠勤して佐藤監督が甲子園を賭けた大一番を観戦に行く。 午後1時が決勝戦の開始時刻なのに、午前9時頃の鳥屋野球場には200人近いファンが切符売り場に並んでいた。 1番乗りは朝7時半に来た中学生である。 私もバックネット裏に陣取るため、3番目位で待っていた。 すると新聞社に取材を受けてその日の夕刊に私のコメントが記載された。 試合は豪腕小林幹英が好投し、柏崎を10-2で突き放し創部45年目にして新潟明訓が初優勝した。 閉会式の後、涙の佐藤監督と長岡高時代の恩師である柴山氏が抱き合っていた姿が忘れられない。 以後、新潟明訓は県内の高校野球を牽引する強豪高になった。 2007年、新潟明訓は私の母校である三条第一中出身の永井投手がエースとなる。 彼の投げる試合を何度か撮影する。そして夏の県大会決勝では12-3で日本文理に勝ち5度目の甲子園出場を果たした。 2010年夏と2012年の夏、新潟明訓は甲子園出場を果たした。 その時、写真家の山田先生のお力で記念誌「越路の華」の撮影を手伝いすることになり、甲子園へ同行させてもらった。 こんな嬉しい撮影は毎年お願いしたいが、今夏は日本文理が甲子園に出場したのでかなわなかった。 佐藤監督は2012年秋の国体終了後に新潟明訓の監督を辞任した。 29年間の公式戦通算、430試合331勝99敗。 甲子園は春1回、夏7回出場し7勝8敗の成績である。 今度は大学野球で新潟を盛り上げ、神宮を目指す。
by chonger53
| 2013-09-10 20:08
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