高校野球の監督

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今月11日から第94回全国高校野球新潟大会が始まる。
毎年、球児達の全力プレーを撮影しながら高校野球の素晴らしさを実感している。

新潟は89チームの参加だが100チームを超える都道府県は激戦だ。
最も多いのが神奈川(190)、続く愛知(189)、大阪(181)、千葉(172)、兵庫(161)となる。
また東京や北海道は毎年2つの代表校を出している。
東東京(148)、西東京(117)、北北海道(111)、南北海道(125)

元常総学院野球部の木内監督の本を読んでみた。
木内さんは教員ではない。一貫して職業監督の立場で生徒達の指導に当たってきた。
土浦一高を卒業すると慶応大学に合格しながら、自らのエラーで夏の県大会で負けた事を悔やみ、母校に「借りが出来た」と云って進学を断念し、コーチの道を選択したのである。
19歳でこんな人生の選択をしてるんだから驚いた。
昭和26年(1951)に土浦一高の監督代行に就任し、昭和31年(1956)に取手二高へ移る。
昭和59年(1984)夏の甲子園大会で桑田、清原のKKコンビがいるPL学園を破り、茨城県勢として初の全国優勝を果たした。
同年秋、2年前に開校したばかりの常総学院に移る。
本書では木内さんが常総の監督に招聘される経緯を理事長が証言している。
当時のマスコミは大金で引き抜いたというような言い方をしたが、実際はだいぶ違っていたのだ。
その事はこの本を読んでもらえば納得する。
常総学院では春優勝1回、準優勝1回、夏優勝1回、準優勝1回の実績がある。
平成15年(2003)の夏はダルビッシュのいた東北に勝って全国制覇し監督を引退した。
この時のチームには新潟明訓の佐藤監督の息子が出場し、新潟県人として初めての優勝メダルを受け取っている。
一度は引退した格好となったが平成20年(2008)に再度監督に復帰し、同年夏と平成21年(2009)夏の甲子園に出場した。
平成23年(2011)、健康上による理由で夏の公式戦を最後に監督を勇退すると発表された。
最後の夏は県大会準決勝で敗れた。

木内さんは80歳になる。
55年間にわたる監督生活で子供たちとぶつかりあい勝つことの苦しみや喜びを味わってきた。
木内マジックといわれた正体は好きな野球が出来れば給料なんていくらでもいいと言う人間性ではないかと私は勝手に解釈した。
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Canon PowerShot G10  6.1-30.5mm 
F8.0 1/100秒  ISO200  
撮影日2012.6.25 撮影地 自宅


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by chonger53 | 2012-07-01 18:21 | テーブルフォト
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