野球部史

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先月、市内の中学校で運動部の激励会と卒業アルバム用の集合撮影を担当させてもらった。
学校行事の写真は生涯、生徒達の思い出となるために失敗は出来ない。
バスケット、バレー、サッカーなど今までにない撮り方が出来ないものかと考えた。
どんな風に撮ればカッコいいのか事前に他校のアルバムを拝見しに県立図書館へ行った。

そこで県内いくつかの高校野球部史を見つける。
特に長岡高、中越高の記念誌には懐かしい選手達の写真が掲載されており見入ってしまった。
私が高校野球に携わっていた時期は昭和49年(1974)から昭和51年(1976)になる。
この二校に私の学校は敗れている。
第51回秋季北信越中越地区予選3回戦 長岡1-0三条商
第52回春季北信越中越地区予選2回戦 中越4-0三条商
いずれも両校は県大会で優勝しており、野球部史にはこのように記載されていた。
長い歴史の戦績が事細かに紹介されており、編集作業をされた先生方やOB諸氏の皆さんは大変なご苦労だったと思います。

さて久し振りに高校野球の話題を取り上げたらもう少しコメントしたくなった。
4日、第126回春季北信越大会に県代表となった日本文理は準決勝で優勝した富山第一に敗れた。
あと一ヶ月足らずで夏の県予選が始まる。
打倒文理に向けて各校は今後さらに厳しい練習に入り、選手達のレギュラー争いも激しさを増す。

私が高3の昭和51年は春の選抜に糸魚川商工が新潟県から18年ぶりに選ばれる。
甲子園では鉾田一(茨城)に1-0で敗れた。(ノーヒット・ノーラン)
選抜での敗戦がショックだったのか糸魚川商工は春季北信越上越地区代表決定戦で高田商に2-1で負けてしまった。
優勝したのは長岡高だった。見附中学が県大会に優勝した時の主力メンバーが長岡高に入学し、柴山監督や二宮部長が手塩にかけて育て上げた強豪チームである。
北信越では初戦で高岡商を17-2の七回コールド勝ち、準決勝では松商学園に5-2で負けている。
お二人の先生の手記によれば、6月に早稲田大学からコーチを招きOB所有のアパートで16日間の合宿を行なっている。
途中で長岡市招待野球もあり疲労困憊で挑み修徳に11-0で大敗した。
中越は5-4で修徳に勝ち、長岡商は横浜に3-0で敗れている。(横浜のエースは阪神で活躍した中田投手)
長岡高は試合後も練習を開始し、保護者達も食事のサポートを徹底する。

夏の県予選が始まるとまた大番狂わせが起きた。
糸魚川商工が上越地区1回戦で高田商に4-1で再び敗れたのである。
上越市営球場は六千人を超す大観衆で沸きあがった。

中越はベスト8で新発田農に4-3でサヨナラ負けした。
九回表に1点を加え3-1と中越が勝ったと思ったが新発田農は九回裏、連打で無死二、三塁から7番打者が同点三塁打を放つ。
次打者へ四球を出し、無死一、三塁で中越は2年生エースが降板するとリリーフに左の1年生が登板する。
新発田農の安田監督はラストバッターが2-2から一球ファールの後、スリーバントをさせた。
これが見事に的中し大逆転劇となったのである。
この時、中越の1年生左腕は二年後に甲子園初出場した時の三本投手である。
さらにこの大会では鈴木監督が部長だった事も注目したい。

準決勝は長岡が新発田農に10-2(七回コールド)で勝ち、高田商は長岡商を接戦の末7-6で破る。

いよいよ決勝戦となる。
長岡高は七回を終わって5-2と高田商をリード。甲子園まであと2イニング、6つのアウトというところで油断する。
八回表、高田商は一死満塁でセカンドゴロが併殺を焦る長岡内野陣のダブルエラーを誘い二者が生還、さらに安打で同点とした一死一、三塁からスクイズで6-5と逆転した。
九回にも二死、一塁から駄目押し三塁打で7-5とし高田商が初優勝したのである。

部員17人、雑草茂る外野には甲子園出場校らしからぬ環境下で見事な粘り強さを見せてくれた。
高田商の快進撃はまだ続いた。
初戦で福島高(宮崎)を10-7で撃破し県勢として13年振りの勝利を果たす。また4番の松田選手が記念すべき新潟県初のホームランを放った。
次ぎの3回戦で高田商は中京(愛知)に12-1と完敗した。小林投手のがんばりもここで潰えたのである。
私は高校野球の集大成としてこの高田商を応援に甲子園へ初めて行って来た。
そして神戸の親戚宅に泊まりこみ、決勝の桜美林-PL学園戦まで観戦してきたのである。

先日、県央工野球部の保護者会が必勝祈願の千羽鶴を折る作業を撮影させてもらった。
我が子の活躍を期待して皆さん真剣に折り紙を折っている。
この時期になるとベンチに入れる選手と入れない選手がほぼ決まってくる。

37年前の新聞に「雪国の甲子園論」というテーマで東海大相模の原監督が新潟県に呼ばれた記事がある。
一生懸命やってもどうしてもレギュラーになれない子がいる。
それらは1年生の指導係とかマネージャーに適任だったりする。
またまじめな選手がたまに試合に出てヒットを打つ。そんな時はみんなの前でほめてやる。
最後はレギュラーになれなかったが、誇りをもって応援のリーダーになった。
東海大相模では卒業式に補欠から順番に後輩に残す言葉を云わせる。
3年間補欠だった彼らが、同じ立場の後輩に「オレの役目を今度はお前がやってくれ」と自身を持って言い残す。

この野球部史の写真から私達の時代は長岡や中越の名門高でも3年生は10人程しかいない。
しかし現在の高校野球名門校ともなれば3年生だけでも30名近くなり、総勢100名ほどの部員が集る学校も数多く見られる。
この中からレギュラーを目指すわけだから選手達の苦労は私達の時代から見ると本当に気の毒なくらいである。

自分の場合は弱小チームで部員不足もあり、チームメイトと競争する事もなくレギュラーになっていた。
しかし今になってみるとそんな事を人に自慢できるはずもない。
やっぱり日大三か中越か長岡商に行けばよかったと後悔している。
たとえ公式戦に一度も出場できず、3年間スタンドの応援団でいたとしても甲子園出場の強豪チームで野球をやって来たことは将来、人様に威張って云えることではないだろうか?

心折れないで辛抱してほしい。
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Canon EOS 50D  SIGMA18-250mmF3.5-6.3 DC OS HSM
F16  1/60秒 ISO200  ストロボ COMET TWINKLE03Ⅱ
撮影日 2012.6.9 撮影地 自宅・

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by chonger53 | 2012-06-09 18:24 | テーブルフォト
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